プロフィールに、こんなことを書きました。
AIが作成した画像も、違和感がありすぎて、ちょっと落ち着かなくなってしまう。たぶん職業病ですね。
この件について、書きたいと思います。
※アイキャッチの画像は、私が撮影した画像です。AIじゃないよ!
最近のSNSバナー、こうなっていませんか
まず、たぶん多くの人が「これAIが作った画像?」と薄々気づいていることから。
- 余白がない(ぎっちぎちに画面全体を埋めようとする)
- 文字間に余裕がない
- 特有のアイコンが並ぶ(矢印、キラキラ、盾、歯車、葉っぱ、電球)
- タイトルが、なぜか右上がり
- 人物イラストがお団子ヘア(少し黄みがかっていて、全部ジブリに見える)
- 全体の色に、夕焼けのようなエモさがある
どれか一つでも「わかる」と思ったら、あなたもすでに気づいています。
なぜ、こういうことが気になるのか
私は写真関連の会社で25年、編集をしていました。
繁忙期には、1日に数千枚の人物写真を目視でチェックします。色味の微妙なズレ、明るさ、写り込み。修正が必要な箇所を見つけては直す、という作業をひたすら続けます。
数をこなすなかで、自分の中に基準ができていきました。
「これくらいなら許容範囲」「ここは絶対に直すべき」
その線引きが、少しずつ体に入っていった25年でした。
本物の写真なら、こうなっているはず
AI画像を見て「なんか変」と感じるとき、私が無意識に照らし合わせているのは…
光:光源が同じなら、顔・髪・服・背景の明るさや影も、すべて整合するはず。
肌:毛穴、産毛、凹凸。場所によって質感に違いがある。
髪:1本1本が描かれているだけでなく、頭皮から自然に生えているというつながりがある。
布:身体の動きや重力に合わせて、シワやたるみができる。
ボケ:レンズの仕組みに従って、距離に応じてボケ方が変わる。
反射:鏡やガラスには、その場所から見えるものが、正しくうつる。
そして全体:すべてが「同じ現実の中で起きたこと」として、つながっている。
たぶん、あまり気づかれていないところ
もう少し細かい話をします。
ボケの境界:「背景がボケている」ではなく、どこから、どの程度ボケているかを見ている。
ピントの深さ:目も鼻も髪も、レンズではあり得ないほど全部くっきりしていないか。
影の情報量:影が真っ黒で、均一すぎないか。現実の影には、周囲から跳ね返った光が残っている。
質感の均一さ:肌も髪も服も背景も、全部が同じような「きれいさ」になっていないか。
「高精細なのに、写真っぽくない?」← この矛盾が、いちばん引っかかります。
これは、写真の人だけの話ではありません
ここまで読んで「そんなの見てないよ」と思われたかもしれません。
でも、他の専門職の方々も同じことが起きています。
| 職 業 | 見てしまうもの |
|---|---|
| 美容師 | 髪の違和感 |
| 建築家 | 建物の構造 |
| 医師 | 身体の形 |
| 料理人 | 食材の質感 |
| ファッション関係者 | 布のシワ |
| カメラマン | 光とレンズ |
人は、自分が長く見てきた世界の「普通」を、細かく知っています。
だからAI画像を見ると…
それっぽいけど、私が知っている「普通」とは、少し違う。
そう感じる。
AI画像が落ち着かないのは、どこかが明らかに間違っているからではありません。
「本物の写真なら、こうなるはず」という小さな約束が、あちこちで少しずつ破られているからかもしれません。
そして、写真を長く見てきた人ほど、その「約束」をたくさん知っている、というだけの話です。
「落ち着かない」という感覚
怖い、というのとは違います。
なんとなく、落ち着かない。
目を合わせているのに、目を合わせている感じがしない。
どこがおかしいか説明できないのに、見続けると違和感が強くなっていく。
「ゾワッとする」「むずむずする」「目をそらしたくなる」身体の感じ方は、人によって違うと思います。
推測ですが、「本物ならこうなるはず」という予測が、細かい部分で何度も外れることが、この感覚につながっているのかもしれません。
整いすぎている
AIの話をすると、ふと思い出す小説があります。
瀬名秀明さんの『パラサイト・イヴ』です。
この小説には、人類を超える生命体が登場します。
その姿を目の当たりにしたときに感じるのは、単純な「怖さ」ではありません。
醜い怪物だから、怖いというわけではありません。
むしろ、人間を超えるほど整った存在として描かれていることに、なんとも言えない違和感を覚えます。
整いすぎている。だから、落ち着かない。
AIが作った画像を見ていると、私はときどき、この感覚を思い出します。
リアルなのに、なぜか落ち着かない。その感覚が、少し似ているのです。
たぶん、職業病です
会社を辞めても、この目は消えませんでした。
絶対音感のようにすごいものではありませんが、感覚として残っています。
残念だなーと思うこと。
近所のスーパーで買い物中に、AIで作られたPOPを見かけるようになりました。店員さんの手書きPOPが好きだったな……と、少し残念に思います。ネットショップでも、AIばかり多用している企業の商品は、信頼に欠けると感じてしまう。だから避けます。
でも、買い物の判断が少し速くなりました。
慣れてきている自分もいます
違和感って、なぜあんなに不快に感じるんでしょうか。そして最近、慣れてきてしまっている自分もいます。
ベテランのデザイナーさんから、こんな話を聞いたことがあります。手書きからパソコンでデザインを作るようになったときも、同じような違和感があった、と。
今回も、同じことなのかな、と思いました。
でも、パソコンでデザインを作るときは、人間の手で描かれます。 キャンバスが紙か画面かの違いです。
それとは、なんか違う気がしています。
最後に
生成AIの画像作成によって、これまで専門家が担ってきた「画像をつくる」という作業は、確実に身近になりました。
でも、画像をつくることと、「何かがおかしい」と気づくことは、別の話なのかもしれません。
25年間、写真を見てきた私がAI画像に感じる違和感も、特別な能力ではありません。
たくさんの「普通の写真」を見てきたことで、
「本物なら、こうなるはず」という基準が、自分の中に残っているだけです。
AIの画像がどれだけリアルになっても、
私はたぶん、しばらくこの「なんか変」を探してしまうと思います。
それが、私にとっての職業病なのかもしれません。


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